私塾

産業社会教育株式会社は、インターネット時代の「私塾」を提供します。

日本人の多くは、「教育」というと学校を想起してしまいます。先生が教壇に立ち、生徒は皆先生の話を聞き、新しい知識を習得する。学校にはカリキュラムがあり、時間割がある。この形の教育は、戦前にドイツより輸入した、一つの教育方法に過ぎないのです。特に、軍国主義の時代に、兵隊を作り上げるには効率の良い教育方法であったのでしょう。

それ以前日本でも、江戸時代の「寺小屋」を思い浮かべてください。武士、商人、農民など様々な子が一緒に勉強していました。年代も異なっていたでしょう。誰も先生の方を見ていません。そして、自分に必要だと思うことを勉強しています。農民は農業を学び、商人は計算・算盤を、武士は論語を読んでいたかもしれません。他人の勉強が気になる子も居たでしょう。
先生は、それぞれが学習しやすいように、将来を語ったり、目標を設定したりしました。
それぞれの個性を尊重し、その個性が伸びることを手助けしたのです。

これは、日本だけではありません。紀元前にギリシャのアテナイに居たソクラテスは、教育について「産婆術」であると説きました。ソクラテスの母が産婆であり、彼女の言葉「産むのはあなた、私は手助けするのみ」が将に「教育」そのものだと考えたのです。
当時のアテナイは、役人中心の社会で、資格試験によって生活に差があり、教育といえば、資格試験に合格するためだけの手法を詰込むものだったのです。それを憂慮し、ソクラテスは、教育は産婆術であり、教育の方法として、どうして?なぜ? と繰り返す「問答法」を説きました。

当時のアテナイからは、哲学者や物理学者は生まれず、国は衰退し崩壊して行きました。現代も同じ事を繰り返している ような気がします。また、ギリシャだけの話しではなく、私たち日本にも当てはまりような気がしてなりません。

江戸から明治へ、その革命を興した者たちは、幕府の運営する学校で学んだ者達ではなく、各人の個性を尊重したいくつもの私塾から輩出されたことは、当然の成り行きであったと思います。

現代にも、私塾が必要です。ISEDは、ネットワーク時代の新しい形の学習環境とともに、「私塾」として教育を行うことをサポートします。

ページトップ